村のできるころ

和人の移住

昔、道南地方にもアイヌの人たちが集落を作って生活を送っていました。
そのためアイヌにちなんだ地名が七飯にも残されております。
一方、和人が道南地方に移住してきたのは、14・15世紀頃といわれています。
この時代、津軽地方から安東氏とその一族の下国政季(しものくにまさすえ)を筆頭に、安東氏に従う武将たちが次々とわたってきて、道南各地に「館」と呼ばれる小さな城を築き、周囲の和人を従えるようになりました。

 また、主なものだけでも十二を数えるほどになったこの館のことを総じて「道南十二館」とも呼びます。七飯町にはなぜか、1457年に起きた「シャクシャインの乱」の時、大館(松前)の館主 下国定季(しものくにさだすえ)の副将だったといわれる相原政胤にまつわる伝説が多く残されています。たとえば、相原政胤が城山に居城していた・・・。とか、子供の季胤が大沼に飛び込んで死んでしまった。などなど・・・。
 今となってはその真偽は定かではないですが、こういった伝説が残されていることから考えても、少なくともこの頃には既に七飯に和人住み着いていたのだろうと想像できます。

 この時代、七飯に住んでいた人は樵や炭焼きをしながら生活していたようです。また、天正4年(1575)には、大川のあたりに三島神社のご神体を招いて、氏神として奉ったといわれ、この頃から徐々に村が形成されてきたと思われます。