七飯町の指定文化財

七飯町には多くの文化財がありますが、そのうち3件については町指定文化財として指定されています。これらは七飯町の歴史の中でも、特に重要な物件として扱われております。

迫田家文書

昭和59年11月7日指定。第1号文化財 1件235点

[指定理由]

迫田家文書は、元官園職員迫田喜ニが残した筆記録で、主に書籍、辞令書、地券等235点からなる文書類です。特に筆記録は明治8年から同15年まで七重官園で教授された内容が記されています。

その内容をみるとエドウィン・ダンら外国人教師の口述による家畜の育養・治療法・製酪・醸造・製造・栽培・ふ化実験などが記録されており、明治初年に近代農業指導センターとして北海道の開拓に大きな役割を果たした七重官園の事業内容や技術水準を知ることのできる資料として価値が高いため指定されました。

飯田甚兵衛の地蔵

平成3年9月3日指定。第2号文化財

[指定理由]

町名「七飯」の表記のもとになった飯田郷の頭取 飯田甚兵衛が、文久2年(1858)に逝去した母を供養するために建立した地蔵尊で、背面に「勝正安政五午年十二月蝦夷地在住之蒙命北来之後七重村在住ス今年不幸而北堂逝ス因為菩提之作之」という銘文が刻まれています。安政5年から6年の八王子千人同心隊の七重村移住を記す歴史資料として貴重なため指定されました。

甚兵衛が中心となって開墾したあたりは、その後、彼の名前にちなんで「飯田村」と呼ばれるようになり、明治12年七重村と合併し、現在の町名となる「七飯村」となりました。

官私山林区別絵図

平成17年5月13日指定。第3号文化財

[指定理由]

官私山林区別絵図は、明治初期の七重村における土地利用状況が詳細に描かれている絵図で、特に七重勧業試験場(七重官園)御用地と民地を明確に区別し、また七重村と周辺の村との境界も明確に記されております。

絵図に描かれている「七重学校」や七重官園の「水車場」が描かれていることや、「七重村・飯田村入合山」といった表記から、作成年が明治10年(1877)から明治14年(1881)に限定され、七重村が飯田村と合併して七飯村となる直前の状況を知ることが出来る資料として価値が高いため指定されました。 

峠下村絵図

平成25年1月15日指定。第4号文化財

[指定理由]

峠下村絵図は、江戸時代末期に峠下村並びに大沼地区の様子を描いた絵図です。
大峠(現在の大沼隧道付近)を中心に上部は駒ケ岳や大沼・小沼を、下部は峠下村を描いてあり、峠下村と藤山村、鹿部村、市ノ渡村との境界が描かれています。

特筆すべきは、現在失われている字名が明記され、それぞれの字間の里程が記録されていていること。 また、神社・炭窯・庚申塚(塔)といった人々の生活に密接に関わる建造物が描かれ、 彩色により川用水沼・山林・田畑などの利用状況を知ることができ、江戸時代末期の様子をうかがい知る資料として価値が高いため指定されました。