駒ヶ岳のふもとの不思議なけもの(大沼地区)

サイの登場!?

幕末のころ、七重の薬園の管理をしていた栗本鋤雲(くりもとじょうん)が、万延元年に、江戸の医師の森立之という人にあてた手紙の中に次のような内容のことが書いてあったといいます。

「駒ヶ岳のふもとのあたりに、不思議なけものが出るというのです。大きさは、おすの牛ぐらいで、ひたいに一尺あまり(30cm以上)の角があり、時々、鹿部川を泳いでいるといいます。たぶん、うぐいが上流に上る時なので、その群れを追っているのでしょう。川を下る時には、角がはっきりとわかるといいます。水に体をしずめ、すごい速さで進むそうです。」

さらに「そこで、わたしの友人のイギリス人とフランス人の二人が見に行ったのですが、里の人たちは、あれは山の主であるから、話をすることによって、たたりがあったら困る。と言って、何も話してはくれなかったそうです。二人の考えでは、そのけものは「さい」に違いないというので、わたしは、鉄砲のうまい侍を現地にとどめておきました。運よくしとめたら、また詳しくお話しましょう。すでに16日もたっていたるのに、残念ながら、まだ仕留めたという便りがありません。」

その後、さいが見つかったということもなく、人々の記憶から忘れさられていた明治10年ごろ、再び、駒ヶ岳に不思議なけものが出るといううわさがひろがりました。あちこちの畑が何者にかあらされ、その正体がわからないので、人々はたいそうおそれました。

明治14年2月20日の朝、尾白内村の西川勘五郎という人によって、とうとう一頭のけものが捕らえられました。体長は167cm、背たけが66cm、体重は100㎏をこえ、全身が褐色のかたい毛におおわれ、後ろに反った8cmほどのきばを持った、いのししのようなけものでした。

駒ヶ岳でいのししがとれたというニュースは、全国に流れ、これまで北海道には、いのししが住んでいないとされていたため、学界では大騒ぎになりました。

このけものは、現在、剥製となって市立函館博物館に保存されていますが、野生のいのししなのか、野生化したぶたなのかの議論が90年もつづけられ、最近やっと野生化したぶただろうという結論に落ち着いたということです。

「ななえの歴史と伝説」より