海を越え、時代を越えて赤松街道の松並木
赤松並木
安政年間に、七重村に設置された御薬園では、松・杉・桑・楮(コウゾ)などが育成されていた。
安政5年に箱館奉行支配組頭の栗本鋤雲が管轄すると、佐渡からアカマツの種を取り寄せて育成に務め、
文久2年頃から五稜郭や亀田・桔梗野より七重に至る道路近くに植栽したという。
この時、園丁長として活躍したのが吉野鐡太郎である。
明治時代になると御薬園は廃止となり、育成していたアカマツの苗は開拓使「七重官園」に引き継がれた。
明治5年、開拓使は日本初となる西洋式馬車道「札幌本道」(現 国道5号)を開削。これに伴い文久2年頃から植栽していたアカマツが、札幌本道沿いに移植されたともいわれている。
明治9年、明治政府が国策として掲げていた北海道開拓の成果や現状を視察するため、明治天皇が開拓使の試験農場である七重官園へ行幸された。
これを記念して、当時開拓使長官だった黒田清隆の命により、札幌本道沿いにアカマツをはじめ、相当数の植樹が行なわれ、現在の国道5号にみられる荘厳な赤松並木の景観が誕生する。
海を越え、この地で育成されたアカマツは、現在、時代を越えた私たちをも和ませてくれている。