箱館戦争勃発の地(峠下)
明治元年(1868年)旧暦10月20日、宮古湾を出発した榎本脱走艦隊・軍艦8隻・兵約3000名は、猛吹雪の中、鷲ノ木(茅部郡森町)に上陸。無用な戦闘を避けるため、榎本らは人見勝太郎、本多幸七郎ら30名を先発隊として五稜郭の箱館府知事・
清水谷公考の元へと派遣した。
しかし、箱館府は出兵を決意し、10月22日未明、土方歳三率いる部隊と別行動を取り、峠下で宿営していた大鳥圭介の部隊を狭撃。かくして半年にも及ぶ箱館戦争の戦端が切って落とされることとなった。
この戦いには七重に移住していた八王子千人同心の子弟達も箱館府守備兵として戦いに参加。千人隊、あるいは在住隊と呼ばれたが、徳川家への恩顧を受けた者達の中には榎本らに協力しようとする者もあったという。
この時の様子は千人隊士・山本登長著の『峠下ヨリ戦争之記』(函館中央図書館蔵)に詳しい。なお、同場所は現在戦死者墓碑群(峠下)となっている。